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ウォルマートカードの5つのメリット・3つのデメリット

西友・リヴィン・サニーでお得なウォルマートカード。知って得する5つのメリットと注意したい3つのデメリットを紹介します。

 

地方に配属

一か月間の大阪での研修が始まりました。

不況の時期に、50人近くの新人を集めてホテル代、交通費を出して研修してくれるとはすばらしい環境と言えました。
ある程度儲かっていないとできませんよね。
逆に言えば、そういう余裕のある会社だからこそ私のようなものでも就職できたと言えます。

研修は、電話の出方、お客さんの案内の仕方などありきたりのものが多くありました。

グループで討議するというものもありました。
討議の内容は、「大地震が起きたらどうするか」
という内容でした。
相手の意見は否定せず、建設的な意見を交換しようというコンセプトの話し合いでした。

様々な研修が終わった後配属先が言い渡されました。

私は東京支社に配属されるものと思っていました。
ところが意外なことに大宮営業所という埼玉の小さな営業所に配属されたのでした。

配属されたときは、嫌ではありませんでした。
東京ではなく、埼玉に一人だけ選ばれたことで、何か特別な感じがしました。
一人でもやっていけると判断してもらえたと考えたのです。

でも今思えば、実家が埼玉県だからちょうど良いと思われただけなのでしょう。

入ったばかりの新人の、しかも女子にそこまでの期待と判断は全くあり得ませんでした。




研修から配属まで

私が就職した企業は本社が大阪でした。
私自身は関東地方に暮らしていたので、おそらく東京支社に配属されるのだろうと思っていました。

4月の入社式が済むと会社の研修が始まりました。
新入社員は大阪の本社に集められました。

莫大な経費をかけてきちんと新人に研修するまじめな会社でした。

メーカーですが日本国内に工場がありました。
おそらく工場に配属されるであろう高卒の子たちや、研究部門に配属予定の院卒の人間。
営業事務に配属されるであろう短大卒の子たち。
それに、全国各地の営業部門に配属されるであろう大卒の男の子たちがいました。

学歴ですでに配属先は決まっていると言えました。
営業事務は、短大卒の子たちがほとんどで、大卒なのは、私ともう一人の女子だけでした。
そして営業職は男性のみ。
私の働いていた時代のあの会社は、男社会でした。

最近になって、あの会社のホームページをふとのぞいてみたところ、女性の営業職もだいぶ増えていました。

今の時代に就職活動だったら良かったのかもな、そう思わざる得ませんでした。


夢破れ安定を選ぶ

私は昔からクリエイティブなことが好きなのと、安定を求める思考が同時に強くありました。
もし自分に安定を求める気持ちがあまりなければ、芸術方面に進んでいたことでしょう。

ところが、小学生のころから「芸術では食べていけない」という思いがすでに芽生えていたので、絵の道は、趣味の一つとしてしかとらえていませんでした。
もし才能があり、本気で絵が好きならば、そんな考えはそもそも浮かばないと言われればそれまでですが。

とにかく自分は普通に会社で働いて、安定した人生を送りたいという願望が幼いころから何故だか強かったのです。

まじめな親の影響かもしれませんね。

そんなこんなで、就職活動時期も、自分の夢である総合職の仕事で男性並みに活躍したい、という夢は貫きませんでした。
だって、そんな夢を貫き通していたら、このままでは就職浪人になってしまいそうでしたから。
就職浪人なんて、安定を目指す私にはとんでもないことだったのです。

そして私は、結局とあるメーカーの営業事務になりました。
一流企業ではないけれど、きちんと業績を上げ、モノづくりを地道に行う、まさに安定を望む私に向いたような企業でした。

次はその会社での出来事を綴っていきたいと思います。

現実を知り始めた就職活動

企業側としても、運転免許をきちんと取得している学生というのは、就職活動に対する意思も真剣でまじめに取り組んでいるという見方をしていたのかもしれませんね。

一方私は、その点では確実に準備不足。
計画性がなく就職を真剣に考えていないと取られても仕方ありませんでした。

運転免許がないという理由だけではもちろんありませんが、私の就職活動は困難を極めました。
なにしろ超氷河期で、面接を受けるたびに現実を知り、夢も希望も打ち砕かれるような毎日でした。

大学の仲間たちは、徐々に就職先が決まり始めました。

教職員になった仲間や、驚くような有名企業や官公庁にしっかり就職できた仲間もいました。
しかし、ほとんどが厳しく・・・・・・今で言うならばブラック企業、といえる就職先に就職口が決まった仲間も多かったです。

当時、貸金業者が繁栄していた時期でもあり、そちら方面に就職した仲間もいました。
成功すれば華やかな生活が約束されそうでしたが、あの業界での成功は、すなわち人間性を失うことを意味していました。
当時、20歳そこそこの私には、貸金業の恐ろしさはまだ理解できませんでしたが、「なんとなく得体が知れない」という勘が働き、その業界には足を踏み入れませんでした。


では、総合職や営業職を夢見ていた私の就職活動結果はどうなったのでしょうか。

運転免許を取らなかった過去

運転免許というと、学生時代に取得してしまう方がほとんどでしょうか。
私は学生時代に運転免許を取りませんでした。
本当は友人と合宿免許に行きたかったのですが、親が許してくれなかったのです。
「合宿免許では短期間過ぎて、運転技術が身につかない」
というのがその理由でした。
それならば、通学での免許取得に励むべきなのでしょうが、就職や将来にとって「運転免許」というものがどれほど重要になってくるのか分からなかった、20代の私は、目の前の遊びに夢中で教習所に通うということはしませんでした。
やがて、就職活動の時期。私の就職活動時期は今から数十年前になりますが超がつくほどの、就職氷河期でした。
そして私は徐々に履歴書に「普通運転免許」と書けない自分が不利だということに気付き始めました。
成績も人柄も同じなら、「運転免許」があるほうを採用したい。それが企業の通常の考え方だからです。
しかも、無謀にも「総合職」「営業職」に惹かれていた自分は、免許がないことでこれほど不利だとは思いもしませんでした。
もちろん自分の実力不足、アピール不足などほかにも理由はあったでしょうが、免許を取っておけばよかったと思わざるを得ませんでした。

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